2008-08-03

「エリート」ってなんだっけ? (精神編)

君のてのひらから: 「エリート」ってなんだっけ? (権力編)の続き。

エリート精神


「エリート」の精神面といって、連想した言葉は「ノブレス・オブリージュ」です。
ノブレス・オブリージュ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5

言葉としての初出は1837年、意外と最近なんですね。

ノブレス・オブリージュの果たし方としては、戦争があるときには、「従軍」ということになります。
戦争がないときであれば、ボランティア活動、チャリティーということになるでしょう。

ノブレス・オブリージュ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5


貴族制度や階級社会が残るイギリスでは、上流階層にはノブレス・オブリージュ(ノーブル・オブリゲーション)の考えが浸透している。第一次世界大戦で貴族の子弟に戦死者が多かったのはこのためであり(皆志願して従軍した)、フォークランド戦争にも王族(アンドルー王子など)が従軍している。現在でも、例えば高校卒業後のギャップ・イヤーに、ウィリアム王子がチリで、ヘンリー王子がレソトの孤児院でボランティア活動に従事している。



また、テニスのロジャー・フェデラー選手はチャリティー活動に大変熱心な選手として知られています。
YouTube - Roger Federer - Spirit of a Champion (Part 1/3)


欧米でスポーツ選手がチャリティー活動に熱心なのは、ノブレス・オブリージュの精神が背景にあるように思います。
また、社会的に成功した人物は積極的に寄付を行なったりします。

裕福な人、社会的地位が高い人が公共施設の建設・維持にお金を出すことは、ローマ帝国が共和国だったころからある行為だったようなので、西洋においては、概念としてかなり古い時代から存在していることになります。

日本のノブレス・オブリージュ

近く日本ではどうだったか。

On Off and Beyond: 日本はエラくもないが卑下したもんでもない
http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/02/post_7.html#trackback


Noblesse Obligeは もともと「貴族たるものが負うべき義務」ということだが、「強者が弱者に対して負う義務」といった意味で使われる。日本は、広く国民一人一人が世間に迷惑をかけない、という「薄く広い責任」については非常に意識が高いと思うが、「強者が弱者のwell-beingに 責任を持つ」っていう概念はあんまりないのでは。もしかして明治時代くらいまではあったのかもしれないけど。



新渡戸稲造が「武士道」という本を書いて、日本の武士道とノブレス・オブリージュを結びつけて紹介しています。

武士道が日本のエリート精神だとすると、日本語の「エリート」の要素に経済的要素が含まれないのが、わかるような気がします。「武士は食わねど高楊枝」ですから。
# さらに遡ると、『貞観政要』の影響(特に魏徴のキャラクター)が強いような気もしますが...別に考察してみたいと思います。

この「武士道」はどこで身につけられたかというと、推測の域を出ませんが「家」「藩校」「私塾」といったあたりではないでしょうか。
とくに、江戸時代の「武家」「士族」の残り香があった時代までは、たとえば「家訓」のような形で、受け継がれてきた精神だと思います。


「学歴エリート」のノブレス・オブリージュ


「学歴エリート」がノブレス・オブリージュ的な精神を身につけているかと言われると...どうなんでしょう。
学校の授業で身につけられる代物ではないように思います。
「道徳」の時間では無理があるでしょう。指導的立場にある人がどのように社会に関わっていくのか、なんて教えてくれないです。
といっても、ボランティア活動を全員に義務にすれば身につくものでもないはずです。

どこで身につける?

エリートは腐敗している!と糾弾するマスコミも、腐敗を防ぐ方法はなにも考えてくれないですから。

「家庭」が一番無難でしょうか。とはいえ、「家訓」というのもそぐわない感じがします。

「学校」でも結果として身につくことがあるかもしれません。学校の授業では身につけられないと書きましたが、学級委員をやる(というより、やらされる)と意識せざるを得ない面があります。
学級委員は、教師を除いてクラスのなかで最も大きな権力を持つ強者になります。
そのときの身の処しかた、問題が起きたときの対応のしかたから「強者が弱者にかかわる」やりかたというのを学んでいけるような気がします。

「学校」に限らず、人が集まる場で、指導的な立場を引き受ける経験が大事なのではないでしょうか。
うーん、でも、大人になったら指導的立場に就いているような人って、大概「学級委員」くらい経験してそうなもんだけどなー。

以上、まとまりもなく終わります。

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