2008-08-30

ローマのキリスト教、日本の創価学会

塩野七生『ローマ人の物語』の文庫本も、単行本XII巻「迷走する帝国」まできました。

ローマ人の物語 34 (34) (新潮文庫 し 12-84)

文庫本34巻では、ローマ帝国のなかでキリスト教の勢力が伸びてきた理由を、ギボンとドッズ教授の著作から分析していました。
以下、ドッズ教授の著作まとめ部分から引用。

塩野七生『ローマ人の物語 34 迷走する帝国[下]』pp.186-188

この集団の構成員がともに行っていたのは、宗教上の儀式だけではない。考え方から生き方すべてを、ともにしていたのである。反キリスト教論者のケルススが鋭くも指摘したように、この点こそがローマ帝国にとって最も危険な点であった。
 彼らは、同信の徒が不幸な境遇に落ちようものなら、物質上の援助を与えるのをためらわなかった。相互扶助がこの集団にとって重要な役割であり、それがまたよく運営されていたことは、ローマ側の認めていたことだった。
 しかし、恵まれない人々に手を差しのべる精神は、何もキリスト教にかぎったことではない。だが、三世紀のローマ帝国は、それまでのローマ人の社会福祉の精神をささえていた、公共心が薄れる一方であった時代である。それが抜けたスキ間に、他のどの宗教よりもこの面では積極的であった、キリスト教コミュニティが入りこんだのであった。
 キリスト教会は信徒たちに、生きていくうえでの基本的な保証を与えるようになっていた。生活に困っている寡婦を助け、孤児を引き取り、老人や失業者や、その他の社会の脱落者に手を差しのべていたのである。貧しい人には葬式を出してやり、疫病が流行れば、病院の役割まで買って出ていたのだった。
 しかし、これらよりも何よりも、キリスト教会が三世紀のローマ人に与えるのに成功したのは、多くの人がそれなしに生きることがむずかしい帰属心であった。
 人々を苦しめるのは、自分はどこにも属していないという孤独感なのである。
 (中略)
 これらの人々が、キリスト教のコミュニティに加わることで、人間的は温かさを得られたのだ。誰かが自分のことを、現世でも来世でも、心配してくれると思えたのであった。
 これが、村よりも都市が、都市でもローマやアンティオキアやアレクサンドリアのような大都会のほうが、キリスト教信者が増大した要因であった。


この部分の記述を読んで、創価学会のことを思い出しました。
創価学会の主要な層は、農家から都市に出てきた人々です。そのなかでも、労働組合に所属することができないような層(つまり大企業に属していない)がメインターゲットでした。
そして、そのような層の相互扶助を担う共同体として機能していきます。



島田裕巳『創価学会』(新潮新書) pp.150-151
 創価学会員たちは、すでに述べてきたように、自分たちの故郷にある村を追い出されてきた人間たちである。あるいは、生きていくために村を後にせざるを得なかった人間たちである。おそらく彼らは、故郷を去るときに、都会で一旗揚げ、故郷に錦を飾ることによって、自分を都会へと追いやった故郷の人々を見返してやろうと考えたに違いない。
(中略)
出てきたばかりの都会で、生活の基盤を確立できておらず、寄る辺ない境遇におかれていた。都会で安定した豊かな生活を実現するには、それを助けてくれる仲間を必要とした。
(中略)
 学会員は、地域に生活の場をおいた庶民たちであり、その職種も各種の店主や店員、町工場の工場主や工員、個人タクシーの運転手、保母などに及んでいる。そうした人間たちが集まれば、どんなことでもこなすことができ、何か問題に直面したときには、他の会員たちが相談に乗ってくれるのはもちろん、手術を受けるなどというときには、皆で集まって「南無妙法蓮華経」の題目を上げてくれたりする。引っ越しや葬儀の手伝いもしてくれるし、福祉施設への斡旋が必要となれば、公明党の議員に紹介を依頼してくれたりする。


宗教のコミュニティに加わるということは、「信仰」という問題よりは、現実的なメリットが初めにくると考えます。コミュニティからもたらされる物質的な援助と、不安感をなくし、希望を持たせてくれるメリットが。

精神的に強いひとや、理性的にものごとを考えられるひとならば、「宗教に走る」ことは、鼻で笑うようなことだったり、批判の対象にするのかもしれないけど、まさに目の前の窮乏や不安な思いにさらされている人にとって、そんな議論は生きる役に立ちませんから。

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