秋葉原の無差別殺人のことを考えていたら、ふと、塩野七生が、失業者が狂気に堕ちていく失業者を描いた映画について書いていたのを思いだしました。
文は題して『失業』。そのまんまです。映画のタイトルは『Falling Down』、マイケル・ダグラス主演の映画です。
書かれた時期は、『ローマ人の物語』第III巻を準備中という記述があることから、1993年~94年の間、今から15年まえ。
以下、『人びとのかたち』(新潮文庫) p.268 からの引用。映画は、すさまじい交通渋滞に巻きこまれてイラ立っている、男の顔の大写しからはじまる。車がまったく動かないのに腹を立てた彼は、車を捨て、歩き出す。
(中略)
電話をかけようとしたミニ・スーパー店で両替を求めたら、韓国人である店主は両替を拒絶する。仕方なくコーラを買ったら、何と八十五セントも要求された。ここで彼の怒りが爆発する。
(中略)
要は、おそらく普通のアメリカ男であった彼の気分が、なぜこうも過激にエスカレートしてしまったのか、ではないかと思う。
はじめから狂人ならば、問題は病理的なことであるにすぎない。だが、彼は狂人ではない。理のとおったことを話すから、頭も悪くはない。それなのに、なぜ?
すべては、失業にあった。彼は、まじめに勤めてきた職場を一ヶ月前に失なっていたのである。
なんとまあ、実際に失業したわけではないが、通り魔となった彼を連想させるキャラづけです。
映画は、マイケル・ダグラス演じる失業男 vs ロバート・デュバル演じるダメ男(ただし、刑事)の追跡行が展開されます。
映画の最後は、この二人の男の正反対の「結果」を示して終る。一人は死。もう一人はベテラン刑事に立ち直った姿で。
しかし、まったく正反対になった「結果」の別れ道は、二人の才能の差ではないのが哀しい。才能の差にあったのならまだしも救われ納得もするが、失業者とそうでなかった者のちがいしかなかったのだから哀しいではないか。才能も機会をもたない者には発揮しようもない。
(中略)
対象が人間である場合、何もかもを経済的な論理で処理してすむというものではない。第二の人生を愉しむ年齢に達しての退職と、それ以前での失業とはちがうのである。とくに、いまだ一度も能力を試す機会も与えられていない若年失業者の存在は、確実に社会不安に直結する。
自分が言いたかったこと、言われてしまっている....。(つっこまれないためには、若年失業者の存在→社会不安のストーリーは練る必要はありそうです)
著者が当時準備中だった『ローマ人の物語』第III巻は、貧富の差が大きくなり、都市に流入した失業者対策として「農地法」を制定したグラックス兄弟と、結果として失業者を志願兵として軍隊に取り込むことになったマリウスの軍制改革が物語られています。
以下、『ローマ人の物語(6) 勝者の混迷[上]』(新潮文庫)より引用。
失業とは生活手段を失うだけではなく、人間の存在理由までも失うことにつながるとは、グラックス兄弟の項ですでに述べたとおりである。グラックス兄弟はそれを、農地を与えることや新植民都市の建設、また公共事業の振興によって解決しようとしたが、兄弟の早すぎた死が、その実現を許さなかった。マリウスはこれらの失業者たちを、軍隊に吸収したのである。
「人間の存在理由」という言葉が重たいです。職にあぶれると親にまで人非人扱いされかねません。誰にも認めてもらえないというのは、精神的に歯止めがなくなることにつながるのでしょうか。
では、現代日本における解決策となると? 若年失業者全員を自衛隊へ、ってわけにもいかないでしょうから、まず「存在理由」に焦点を当てましょう。
- フリーターやニートだからって責めない。
- 特に親とマスコミ。 運が悪いだけ、と認める。
- 「機会」を与える。
- 派遣をなくすとか言わないでください。ただでさえ少ない「機会」が減ってしまう。
- 企業は、非正規雇用労働者のことを「人間」として扱う。
- 「雇用の調整弁」だってこと、腹の底では思っていてもかまわないですから、態度に出さないでください。
次、機会を与えたら、上の階級との流動性を確保しましょう。ローマでは「奴隷」の反乱は意外と少ないと『ローマ人の物語』中で述べられていますが、その理由を奴隷→解放奴隷→ローマ市民という階級上昇ルートがあったことに求めています。奴隷といっても、大農園で働く奴隷以外の、「元老院議員の秘書」の奴隷、「家庭教師」の奴隷などになると、「サラリーマン」となにが違うのか...という印象を持ちますが。
- 「機会」をものにした人には、派遣であれば→正社員など上昇のルートを示す。
- 企業で実践するなら、みせかけでは、だめ。実際に運用すること。
- 独立して...というストーリーを喧伝するのは、「ふつー」の人にはかえって重しになりかねません。
今の日本では、新卒で「正社員」階級に入れないと、おしまいです。正社員の雇用を守ることが、流動性を失わせる結果を招くことは、ヨーロッパの事例、今でもフランスを見ればわかるとおりです。せめて流動性を確保しないと...
大企業が派遣社員すら受けいれられなくするような世論とやらは、破滅への道に見えます。
- 給料を維持して、社会不安の気分を増大させるか?
- 給料は1割くらい減るかもしれないが、不安も減るほうを選ぶか?
マキャベリ式にこの2択で勝負すれば、「既得権を持つ民衆」も選びやすいでしょう。
「給料を維持して、治安も維持するのが政治家の仕事」というのであれば、対案を。
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